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あいちゃんの日記帳 2002年05月分

あいちゃんの日記帳

2002年05月の日記


[雑記] 通帳、印鑑....いつまで使うのさ?
日本の銀行では預金通帳は付き物だったし、その状態は今でも変わりはないけれど、キャッシュカード普及以前とはその位置付けが大きく変わってきた。

キャッシュカードなんて無い時代は、当然のことながら預金の引出しは届出印と通帳がないとどうにもならなかったけれど、今はとりあえず通帳や印鑑が無くても日常の普通預金への預け入れや引出しは全部ATMで出来てしまう。それどころか、インターネットバンキングを使えば、振込みだって残高確認だって明細確認だって出来てしまうから、少なくとも普通預金口座の通帳に関する限りは必要性はかなり薄い。

実際、何ヶ月も記帳せずに明細がまとめて記入される(入金が何十万とか何百万、引き出しが何十万とか何百万とか....)ようなけ-スもままあるわけで、そうなると少なくとも明細記録としては何にも役に立たない。

そもそも本人認証としての印鑑なんて、信用度においてどれほどのものがあるのか極めて疑問ではあるし、印鑑と通帳をなくしてあるいは盗難にあっても、本来の所有者である本人が紛失や盗難に気づかない限り、持参した人間に怪しい点があるとかで無い限りは、悪用を防ぐことは難しい。

それなら、いっそ危険な通帳なんか廃止してしまえばよいと思う。欧米の銀行同様利用がある月には明細送付をするようにすればよい。

まあ、通帳と明細書方式ではどちらも一長一短であるけれど、ATMが普及してきた現在となっては少なくとも普通預金の通帳はあまり意味がない。その分、管理が手薄になる可能性があるから、いっそ通帳や印鑑などの危険要素は廃止して、バイオメトリックによる本人認証にすればよい。バイオメトリックを二通り、三通りくらいの方式を併用すれば、他人とのご認識はまずありえないし、そこにPIN(暗証)を併用すればまず間違いない。これなら、キャッシュカードといったもっとも危険な要因も排除できるし、本人以外は取引できないから、脱税などの対策にも極めて有効であろう。

いいかげん、通帳とか印鑑とか旧態依然たる信頼のおけないシステムを使うのはやめようではないか。
Date: 2002年05月01日(水)


[XP] システムの復元 on Windows XP
Windows Millenium Editionで、初めて「システムの復元」機能がつき、これがWindows XPになって、さらに安定して復元ポイントが作成されるようになった....らしい。

実際問題、これまでWindows XPが自動的に作成する「チェックポイント」は自動的に確実に作られていた。しかし、ふと見ると先月(四月)のチェックポイントが何もない。私の使い方からして、一ヶ月間もチェックポイント無しというはずが無い。

これは変だぞ、ということで手動でシステムの復元ポイントを作成しようとすると、「復元ポイントが作成できない」というエラーダイアログで出て復元ポイントが作成されない。エラー表示は再起動してやりなおせとあるが、そのとおりにしても当然のごとく何らかわりなくやはり復元ポイントが作成できないではないか!

これは困る、あまり信用できない「システムの復元」だが、すくわれたこともあるのでやはり復元ポイントが作られないのはこまる。

まず、当然のアプローチとしてMicrosoftのサポート技術情報(Knowledge Base)でいろいろ調べたがそれらしいものは無かった。復元が美味く行かないときの情報はあるが、そもそもXPで復元ポイントがつくられないという類の情報が皆無だった。

いろいろ他に調べてみても情報がないので、MSCONFIG.EXEを使ってスタートアップを無効にしたり、最低限のサービスとデバイスで起動してみたりしたがうまくゆかない。

復元情報が保存されているのは、XPの場合は各ドライブの "System Volume Information" フォルダなのだが、各ドライブをチェックしたりしたが特にエラーもない。

一端復元機能を無効にしてリブートして(無効にするとこれまでの復元情報は削除されて復元できなくなるので注意!)、再度復元機能を有効にして試みるがダメである。

さらにWebを調べて英語情報もあたるがそれらしいのに突き当たらない。諦めて、再度無効にしてリブートし、有効にしてリブートし、なんてのを繰り返していたらいつのまにかチェックポイントが作られていた。もしや!と思って手動でもやってみたら、なんと、なんと、ちゃんと復元ポイントが作成できるようになっていた。

結局何が悪いのかわからないままに回復した。実はトラブルではこういうのが一番困って、再現性に欠けて原因もつかめないと、再発を防ぐ手が取れないのである。とりあえずなんとか使えるようにするにはしても、トラブルシューティングの基本は、原因を正しくつかんでその根治策を講じることなのだが、それが使えないとトラブルをシュートしたことにはならないのである。

困ったものだ...。
Date: 2002年05月02日(木)


[旅行記] 2002/1香港・家族旅行を掲載
旅行に行ってから、すでに四ヶ月もたったのだけれど、ようやく、この連休で旅行記をまとめました。

旅路の部屋

これから、香港へ...という方の参考になるように、極力各施設等についてはWebサイトへのリンクを文中につけてありますので、よろしければご利用ください。

しかし、四ヶ月たっても、私や妻の場合、小型のノートにその場でメモをつけていたりするので、それを見ると結構思い出せるものですねぇ。何も無いと思い出すのは不可能ですので、やはり「記録」というのは偉大であり、人間の「記憶」はいい加減なものです。
Date: 2002年05月03日(金)


[雑記] 餃子を簡単にパリッと焼くには?
香港で知ったのだが、焼き餃子というのは実は日本人が考え出したものらしい。向こうでは餃子は蒸し餃子か水餃子として食べるものであるということで、実際、スーパーの冷凍食品売り場に行くと、冷凍の焼き餃子なんかには「日本式」だか「日式」とかいった文字が広東語のタイトルの中に埋まっている。

さて、焼き餃子というのは、美味しい店で食べると焼き目がカリッとしているけれど、中はジューシーでふんわりしているものだ。これが、家庭で焼くと焦げたり、あるいは逆にべとついたりで、なかなかうまく行かない。

ところが、先日何かのテレビ番組でやっていたのだが、プロの腕が無くてもこれがかなりうまくできるということで、自分で三度ほど試してみたが、実際うまく行った。

どうやるのかというと、テフロン加工のフライパンである。私は鉄製のフライパンの愛用者であり自ら進んでテフロン加工のフライパンを使うことは無いのだが、今回だけは目をつぶって例外を認めざるを得ない。

1.火にかける前のテフロン加工のフライパンにオイル(普通の家庭ならサラダオイルであろう)を大さじ一杯くらいひく。
2.餃子を並べる。(12個くらいがちょうど良い)
3.水を60~100ccくらい(市販の生餃子ならそのレシピどおりでOK)をフライパンにいれる。
4.フライパンをガスの中弱火にかける。
5.水が少なくなってきたら、少量のオイルを餃子のまわりに足す。
6.水が完全になくなって、餃子の焼き目がパリッとするまで弱火で焼く。
7.最後にオイルが残るようならティッシュやクッキングペーパーなどで余分なオイルを吸い取る。

焼き過ぎないようにするのと、水は多い目でもOKであり少ないとふんわりとは行かない。

この方法は、こげつかないテフロン加工のフライパン(といっても古いやつは焦げ付くようになるのでだめだ)ならではで、焼きあがりを食べると、焼き目はパリッとしていて、中はふんわりジューシーになる。

餃子が自宅でうまく焼けない方、お試しあれ。
Date: 2002年05月04日(土)


[旅行] 旅のトラブルは....
「2002/1 香港・家族旅行」を手元の記録を見ながらまとめていると、そのときの光景が次々と思い出されてきた。「旅路の部屋」の旅行記を、自分で読み返してみると、それぞれの旅行の様子がよみがえってくる。

この旅行記の第一の目的は、何より自分の思い出のためである。そういう意味でその主たる目的は立派に果たしていて、妻も時々見ながら懐かしんでいたりする。

どういう旅行にせよ、そこには新たな経験があるから、その経験を具体的に可能な限り詳細に書き残すことで、同じ方面に同じような旅行をされる方が、偶然「旅路の部屋」にたどり着くことで、何かの役に立てばと思っているのもこれまた事実である。

旅行の情報というのは、誰か一人だけの情報だと非常に偏りがある。そこには、嘘はないにせよ、本人の不注意や態度・服装・対応にトラブルの原因があるのに、一方的に旅先の施設を批判する例もあって、相手を批判する前に自分を反省したらどうだ?という例も見受けられる。

とにかく、情報、とりわけ良いとか悪いの情報は、それを使うほうに十分な知恵が必要である。サンプル数が少ないと統計として成り立たないのと同様に、いろいろ多くの情報を得ることで、本当の姿に少しでも近づくことができる可能性が出てくるのではないか。

悪評のかなりの部分の原因は、日本人(その人自身とは限らない、時に日本人全体が日本人観光客の評判を落としていることも多いのではないか)にあると思う。日本人はとにかく「ツーと言えばカーと通じる」ことを期待している例が極めて多いと思う。これは日本国内のきちんとした施設ならそれで通じるだろうが、はっきりと物を言うことが人間としての最低限の条件の一つであるような国(大抵の欧米はそうだし、アジアだって例外ではない)だと、そんな甘えは通じない。何かあっても、黙っているのは、納得している証拠、それで満足している証拠なのを忘れるべきじゃない。

トラブルに遭遇したとき、国内ではあからさまに言葉に出してあれこれしつこく言わなくても解決できることが多いので、いざ、海外に出たら「喧嘩を売る」のではなく「自分の状況を理論的に理解させて(日本流に感情に訴えようとするのは、即敗因につながるから絶対やるべきじゃない)、自分に何が必要かをやはり理論的に訴えて合意を引き出すこと」は日本人にはとても苦手のようだが、実はとても大切である。

日本人は、よく「誠意を見せろ」というのがお得意らしいが、そんな言い草は海外では役にも立たないではない。何より、「誠意を見せろ」では何をして欲しいのか、要求がまったく分からないし、下手をすれば脅迫して金をよこせと思われてしまい、とんでもない事態に進展しかねないかもしれない。

まあ、それでもトラブルはつきもの。旅にトラブルは付き物であり、旅のアトラクションだと開き直るのが大切だ。命にかかわるものでない限りは、多少のトラブルがあった旅のほうが思い出に残るものである。

トラブルはあって当然と開き直り、日本式を持ち出さずに感情に訴えず、周囲の状況にも目を向けながら理論的に交渉をすすめてゆくこと、これさえあれば海外旅行は、どんな場合でもとても楽しい。
Date: 2002年05月05日(日)


[雑記] ゴールデンウィーク
仕事のある平日は実に長いのだけれど、休みは何日あろうがあっという間であるのは、小学校以来サラリーマンになった今でも変わらない。

大学時代は、前期試験は前期の終わり、つまり夏休み前にあったので、夏休みはほぼ二ヶ月完璧にフリーになり、はっきりいって遊び呆けていた。試験が終わったときの開放感たるや相当なものであり、すべての嫌なことから開放されたような気分になったが、サラリーマンの今は、高々数日の休みに入る前にはそこまでの開放感は無い。

といっても、休みに何をするかによって開放感はかなり異なるのも事実である。この連休は特に予定はな無かったので、初日というか連休時前日の開放感もたいした事は無かった。そもそも、いわゆるゴールデンウィークというのは、本州では一番季節が良いときで晴天の日も多く、バケーションにはもってこいだから、観光地も温泉もどこも人だらけであり、国内はどこへ行っても宿泊費も交通費も高くつく。

海外ならば、日本人の多いところを避ければ、費用はさほどでもないのだが、日本出発の航空便がこの時期はどの航空会社でも高い。いわんや、日本の旅行会社の企画する海外ツアーときたら、年間三大ピーク価格の一つだから安いわけが無い。

結局、私は原則としてゴールデンウィークの期間中は長期旅行などは行かない。それに、大人はゴールデンウィークの谷間に休みをとることは不可能ではないが、子供が中学生にもなるとそうそう簡単に休めなくなるし、子供も休むのを嫌がるようになるから、結局、ゴールデンウィークといえども三日とか四日くらいしか休みがなくて、それじゃあ、海外は行けない。

同じ一週間とか十日間の休みでも、海外旅行が控えているとなると、これはもう興奮の極地になる。開放感というよりは期待感で一杯になる。このワクワク感がたまらない。

予定があるにせよ、無いにせよ、休みが過ぎるのは速い。リタイアするときまで、休み最後の日の憂鬱な気分からは逃れがたいのだろうが、そうなるころには余命も残り少なくなり、これは休みの終わりよりもっと悲しい。なんせ人生の終わりなのだから。
Date: 2002年05月06日(月)


[雑記] 死相ただよう民族
私が海外から帰るたび、そして、私の知人のある人もやはり海外から帰るたびに思うのは、どの顔を見ても、みな同じように無気力で無関心に見えてしまうことだ。実際のところは、おそらく、日常の自分自身もおそらくは同じように周囲に埋もれているに違いないのだけれど、帰国した直後は、そんな無表情で無関心で無気力に見える我が同胞に恐怖すら覚える。

私自身はたいした旅行経験があるわけではないが、しかし、どこでも日本人よりは平均的には表情が生き生きしている人が多いし、活発で活気があったように思う。ひょっとしたら、日本の近年の経済状況の根本的な原因は、この国民病ともいえる無気力さにあるのではないだろうか、とすら思えてくる。だから、小手先の構造改革などではとうていおぼつかくて、国民全部の心理改革が必要なのではないか、とすら思える。

旅行を重ねるにつれ、日本の街を行く日本人の多くには活気が感じられず、疲労と無気力だけが支配するような人々が忙しげに無表情に幽霊のように歩いている違和感を、自分の日常においても感じるようになってきた。それに、仕事でも何でも、無表情ではっきり物を言わない人が多いし、したがって、議論も議論にならずすれ違いに終わることも多い。なぜ、正々堂々と正面切った大人の議論ができないのか。視線をさけるがごとくに、巧みに議論だけはわき道にすり抜けて、霧の中に消えてしまう。まるで幽霊をつかむことができないのと同じような気分になることがある。いったい奴らは何者だ?といった感じである。

おそらく日本人を相手にする諸外国のビジネスマンや政治家、官僚などは、こんな風な感じを覚えていて、それが自分とはあまりに異質なために、そのギャップが恐怖すら呼ぶのではないか。

海外から帰国したとき、私の場合その瞬間は自分にとって日本は外国である。ずっと中にいるとマヒしてわからないけれど、自分でパッケージツアーの世話などにならず、日本人集団から離れて一人で外国人に囲まれて会話をし旅をして戻ってきた瞬間が、おそらく感覚的には一番日本人を冷めた目で見ることができているような気がする。

そのとき、私は、ちょっと大げさにいえば、日本人には『民族としての死相』を感じる。このまま、この民族は、この国はきっと活発で生命力あふれる諸外国にとりのこされて、ひっそりと滅びてしまうに違いないとすら思う。なんというか、日本に戻ったときに、日本という国、その雰囲気や、人々から『あふれる生命力を感じない』のである。これは理屈ではなく、もう本能といってもよいくらいのところでそれを感じるのだ。

ひょっとしたら、日本人はすでに滅びつつある民族なのではないか。そして、当人は誰もその運命に気づいていない...。
Date: 2002年05月07日(火)


[雑記] 決心倒れ
前から、筆者の旅行記サイト旅路の部屋を、完全再構築しようと考えていたが、考えているだけですでに一年ほど経ってしまった。

今年10月には、「おじさんソウル一人旅」を計画しているので、どうせなら多少は韓国語を勉強しようと、NHK教育テレビのハングル講座(週一回の放送)をビデオで撮り、テキストも購入してバリバリ始めようと思いつつ、録画してテキストを買うだけ買って、すでに一ヶ月が経過した。

どうも、若い頃と違って、決心倒れに終わることが多くなってきたのは気のせいか?決心倒れに終わらないのは、海外一人旅とその旅行記だけかもしれない。

最初の、Webサイトの再構築だが、今は、IBMのHomepage Builderを使って構築しているけど、より高度なテクニックやデザインを試みたいと、MacromediaのDreamweaverとFireworksはとっくの昔に買って、ガイドブックも買って読んだりしているが、肝心の基本デザインや構造、ナビゲーションの方法などを決めかねている。

けれど、その過程で購入して役に立っている本がある。それは視覚デザイン研究所というところから出ている「WEB DESIGN 配色サンプル for Web safe color」(ISBN4-88108-162-4 C2370 \2300)というものだ。

これは、Webサイトを利用する側(見る側)のOperating Systemやブラウザの種類に影響されないWebセーフカラー216色を使って、色彩学的に見やすい配色サンプルを作ったもので、これは大変役に立つので、Webサイトを作る方にはオススメである。

よく、大変色使いが悪くて文字が読みにくいサイトとかあるが、ああいうのは論外だと思う。背景に細かい柄が使われていて文字がそれに埋もれてしまうものとか、背景は単色だけど、文字色とのコントラストの差が極めて小さくて非常に文字が読みにくい、あるいは、CRTだと見えるけど、液晶パネルだとほとんど見えないなんてのもある。これは全く問題外だと思う。私は少なくとも色と見易さに関してはCRTとTFT液晶パネル(ノートPC)でチェックしている。

ともかく、現在のサイトを作り変えるにも、コンテンツが定期的に増えてくる(旅行をするから)から、なかなかそれに踏み切れないし、コンテンツを増やすのも自分だし、新サイトをデザインし作るのも自分だから、なかなか時間が取れないのも事実である。

何にせよ、若いときほどの意思の強さというものがなくなっているのは事実かもしれない。これは歳なのか、それとも単にサボりたがりというだけか.....
Date: 2002年05月08日(水)


[雑記] 本当のフーリガン対策は酒場にあり?
いよいよ、ワールドカップが間近にせまってきたけれど、最近ある英国人から凄い話を聞いてしまった。

直接的には、フーリガンの話ではないが、イギリスやドイツ、オランダ、北欧諸国など西~北部ヨーロッパ諸国にほぼ共通の傾向として、男性の若者は泥酔すると日本の常識では考えられない無茶をするということだ。日本人の常識からは考えられないくらいの無茶ばかりの話で、最初は作り話かと思っていたけれど、真面目な話で、一歩間違えれば命にかかわる無茶ばかりである。

といっても、聞く範疇においては、無関係な第三者を巻き込んでいるわけではないのが救いで、すべて仲間に対して行われた時に命にかかわる無茶である。この無茶の精神が、実はフーリガンの持つ無茶と共通するというのだ。だから、フーリガンたちも泥酔すると、とんでもないことをしでかす可能性があるということだ。

競技場でも、ヨーロッパの様子をテレビでみるとものすごいことになっているが、実際には競技場以外の場所でも相当な無茶がある可能性が存在するということだ。だから、ワールドカップの会場近辺の酒場や彼らの宿泊先、さらには多くのフーリガンが集まる東京などは、時と場所によってはかなり危険なことになる可能性が否定できないようだ。

警察が、こうしたことまで考えいるかどうか怪しいものだ。競技場とその周辺は厳重に警備するだろうが、それ以外の宿やらどこやらは、騒ぎが起きてから....という後手にまわらざるをえまい。

ワールドカップの期間中の、酒場や彼らの泊まる宿付近は近寄らないほうがよさそうだ。君子危うきに近寄らず。
Date: 2002年05月09日(木)


[PC] 時々とまるWindows XPのExplorer
私のメインデスクトップマシンにXPを入れてから、ときどき数十秒間Windows XP ProfessionalのExplorerがほぼ完璧にとまる。カーソルは動くけれど、Explorerが一時的に止ってしまうので、タスクマネージャーを呼び出してプロセスの状態をみることもできないし、他のアプリを起動することも不可能だ。

完全にハングするのではなく、本当に一時的に止るだけだから数十秒がまんすれば、また何も無かったように復活する。復活直後にシステムやアプリケーションイベントをみても、なんら有意な情報はないから困ってしまう。

これが、私のメインPCだけならともかく、DynaBook V4のWindows XP Homeでも、似たような状況が発生するようになってきた。私のメインデスクトップは、ハードウェア、ソフトウェアともにいろいろ入っているので、怪しいといえば怪しい。

しかし、DynaBook V4は、プレインストールOSであり余分なハードウェアはPCカードも含めて一切追加していないし、アプリケーションだってNorton Internet Securityといくつかのソフトがあるだけだ。

デスクトップのほうは、Windows2000時代は全く何も無かったけれど、Windows XPにしてから時折こういう症状に見舞われるようになってきた。

Webを検索すると全く同じような症状に見舞われているというものがあったが、解決策や原因は無かったし、Microsoft社の日本語、英語のKnowledge Baseにも見当たらないので性質が悪い。

原因がわかれば対策は立てられることが多いけれど、それがわからないからどうにもならない。まったく、困ったOSだ。
Date: 2002年05月10日(金)


[映画] THE OTHERS
ようやくというか、ほとんどロードショウが終わりに近くなってから "THE OTHERS (邦題「アザーズ」)"を、在日外国人の友人と一緒に見に行ってきた。

まだの人もいると思うので、エンディングは言えないけれど....びっくり....である。ただ、、こういう終わり方というのは、一つ経験すると他の類似作でもエンディングが見えてしまうというのはあるかもしれない。

ホラー映画(horror movie)というジャンルがあるようだが、これははっきりいうと一般的なイメージでのホラーとはちょっと違う。最後の最後は、ちょっとホッとするような感じで終わるのでやや安心できる。Horror movieというよりは、weird movieという感じ。日本のテレビで一番近いジャンルはテレビで放映されていた「世にも奇妙な物語」とかいったところか。

評価は人それぞれだとは思うけれど、見る前はあまり期待していなかっただけに、良い意味での期待はずれというか期待を大きく上回ったのである。私に言わせれば、見る価値が大いにある、It’s very worth to see!"である。

誰も死なないし、血も流れないからそういう意味の恐怖は一切存在しない。ただ、精神的な恐怖だけがひしひしとおしよせ、時々椅子から飛び上がるようなシーン(単に驚かされただけだけれど)もあったが、なかなか素晴らしい映画だった。

配役の中では、グレース役の二コール・キッドマンも良かったが、もっといい味を出していたのがミセス・ミルズ役のフィオヌラ・フラナガンだと思った。ランプの光だけに照らされた子供たちの居る空間と、霧に包まれた屋敷、子供たちが居ないときに空けられるカーテンから差し込む日の光。光の明暗がストーリーの山と谷を作り出す。

まだ見ていない方、一見の価値有りだ。
Date: 2002年05月11日(土)


[旅行記] 知人の「New Zealand 一人旅」を掲載
私の知人が、5月上旬におじさん一人旅でNew ZealandのQueenstown(クィーンズタウン)へ行ってきました。クィーンズタウンは、私も昨年10月に一人旅をしておりますが、大変、美しいところで、一度で虜になってしまいました。

知人は、Visor Platinumを持参して、現地であれこれ旅行記として書き留めていたのですが、特に許可を得て、HTML化して旅路の部屋に掲載しました。

この旅路の部屋には、私の「2001/10 ニュージーランド一人旅」の記録もありますので、これからクィーンズタウンを訪れようとする方には、多少なりとも役に立つと思います。
Date: 2002年05月12日(日)


[PC/Palm] メールソフト「Shuriken Pro2」
PCのメールソフトでメジャーなところといえば、最近ではWindowsというかInternet Explorerに標準添付のOutlook Expressとか、Netscape Communicator付属のNetscape Messanger、有償商品では、Eudoraとかで、あとはシェアウェアになると、Becky!とか、Winbiffとか、AL-Mailとか、他にもいろいろある。

私は、Becky!を使ってきたが、ここへきて、Palm(Visor Prism) と必要なメールだけの同期を取りたくなった。

Visor Prism付属のPocket Mirrorは、無償でChapura社から、"Pocket Mirror 3.1 Standard" にアップグレードでき、これのメールコンジットでは、Outlook や Outlook Express、あるいは、Becky!と同期できるのだけれどやや問題がある。

Palmのメールコンジットのおそらく全般にいえることだけれど、Palmデバイス側でメールを削除すると、PCの側の受信トレイも削除されてしまう。一般にはPCのほうは結構長期間残しておくけれど、Palmデバイスの側はメモリの問題もあり比較的短期間で削除するから、単純に同期してもらっても困るのである。

私の場合は、PalmデバイスにモデムやPHSカードとかつけてまでアクセスしようとは思わない。以前はHP100LX, HP200LX, WindowsCEでそういうことをしていた時期があったが、最近は熱もさめたし、毎朝、毎晩メールを見れば済む話なので、そこまでしてメールにこだわる必要性がなくなった。

また、@niftyのモバイルメールを使っていて、メインアカウントに着信するメールのうち、フィルタリングして必要なものは、J-Phoneの携帯に転送されるようにしているので、いざとなれば、どうしても必要であれば、携帯から、あるいは携帯を通じて@niftyから発信できるのである。

標準的なメールコンジットのもう一つの問題は、PCの受信トレイとしか同期できないことだ。必要な相手からのメールだけを、Palm同期専用フォルダにコピー振り分け(単なる振り分けだと本来振り分けたいフォルダには行かないので、ここはコピーでないとまずい)して、そのフォルダをPalmデバイスの受信トレイと同期させる。もちろん、送信トレイやドラフトなどはそれぞれPCの該当フォルダと同期してもらわなければ困る。

実は、あまり知られていないけれど、これをスムーズにやってのけることができるのが、JUSTSYSTEMのメールソフト、Shuriken Pro2である。

これについては、Muchy’s Palmware Reviewでも、レビューされているので、ごらん頂きたいが、実に相性がよい、というか、そのように作られている。

その上、設定や使い勝手はかなりBecky!に近くて、あまり違和感がないのも、Becky!ユーザーには嬉しい。

Becky!2.Xからは直接移行できないので、Becky!2.0でUNIX mbox形式にExportし、それをMailExpを使って、Netscape Messanger (Communicator 4.78)にインポートし、それをShuriken Pro2にインポートしたが、うまくいった。

まだ、使い始めたばかりだけれど、同じ量のメールを管理した場合、Becky!よりずっと動きが軽いので、なかんなか素晴らしい。振り分け機能は、Becky!より優れている。さらに、PalmOSのメール長さ制限をクリアするために、分割してPalmに流し込む機能もついていたりするし、携帯電話へのメールには文字数制限チェックまでついていて、至れり尽せりだ。

Palmデバイスユーザーの方で、メール同期を取りたい方には強い味方だと思う。
Date: 2002年05月13日(月)


[雑記] やってきましたミュールの季節
今年もまた若い女性にはミュールとやらの季節がやってきた。どうみても、室内履きとか近所履きなのに、洋服はやけにおしゃれをしていたりするから、見ているとひどくアンバランスなケースがある。

中には、上からみると、きっちりまとまった髪型、きっちりしたグレーのパンツスーツ、きっちりした黒のバッグでまとめているのに、足元をみると素足にミュールだった、という例を先日見かけたが、これはもう、思わず階段から転げ落ちそうになった。普通はこういう場合はパンプスか何かが当たり前だと思っていたのだが、どうも、そうは思わない人がいらっしゃるようで、これはもう価値観の相違どころか、異生物としか思えない。もっとも、こちらがそう思うということは、おそらく向こうもそう思っているだろうが、お互い様のコンチキチンである。

Tシャツ一枚に、ジーンズの短パンをはいて、足元はきちんとしたパンティストッキングをはいて、きっちりした黒のパンプスってのは、誰が考えても不釣合いだと思うのだが、その逆のパターンがちょうど先の目撃例である。

こうしたアンバランスは異性であり、年代も相当に異なるから余計に私の目には強く印象付けられるのかもしれない。男性にだってへんちくりんな組み合わせをした人は良く見かけるが、多くの場合カジュアルの中でのへんちくりんとか、ネクタイがダサいとかいった感じであって、きっちりしたスーツに通勤カバン、それに足元は素足にサンダル、なんて例はさすがに見たことが無い。社内でデスクワークのときに、靴を脱いでサンダルを履いてる例は多いが、外出時・通勤時にそういう格好は許されないのが普通だ。

だがミュールの最大の欠点は駅階段を上り下りするときのあの鋭い音である。一人だけでも大抵うるさいのに、これが暑くなってミュールが増えると、もう、階段のたびに、からんころん、かつん、かつん、かきん、かきん、ぽこん、ぽこん、かん、かん、こん、こん、とにぎやかなこと、にぎやかなこと。ゲゲゲの鬼太郎の下駄の音なんか、尻尾を巻いて逃げてゆきそうなくらい華々しい。

そういう意味では嫌な季節になってきた。
Date: 2002年05月14日(火)


[雑記] 弱点、強み、個性、存在価値
人には誰にでも弱点(weak point)と強み(strong point)がある。これは、学校の勉強でも同じであろう。そもそも、すべての科目(体育も含めて)で優秀な成績を残せるような秀才は、ゼロではないかもしれないが、まずお目にかかれない。必ずどこかに弱点があるものだ。

私の子供も同じで、例えば数学と理科といった理系科目に弱いが、歴史は大好きで英語も好きであるが、文系科目が強いというわけでもなくて、私に似たのか国語は苦手である。私の子供にかぎらず、皆こうした凸凹はあるわけで、それが個性の一つなのだ。これに対して、どう考え、どう対応してゆくかというのは、親にとって重要な問題だと思う。

過去の、そして現在に至っても日本の学校教育システムと、多くの親たちは、多分に高校や大学入試の影響かもしれないが、どれをとってもそこそこ出来るような、すなわち、ひどく平均的な、どこを切っても金太郎飴をいまだに作り出そうしているように思えてならない。

他人と同じということは、裏を返せば他人と比べて自分の特徴や強みが出せていないということであり、それはすなわち、その人の存在価値がない、他人にすぐに取って代わられるということにつながる。

人も物も産めよ増やせよの高度成長時代であれば、すぐに取り替えがきいて、黙って人のいうなりになっているような、いわば工場の量産ラインの製造機械の部品のような人間が好まれたのは事実だが、それはもはや遠い昔のこととなっているが、いまだにそういう時代の亡霊に取り付かれている連中が身近に、あるいは政治家や役人にも存在するようだ。

私が、以前から子供に言っているのは、例えば勉強でいえば、「弱いポイントはまあ、そこそこ努力はしないとだめだ、最初から放り出すな。しかし、弱いポイントを人並みに持ち上げるために膨大な努力をして時間をつかって疲れ果てるのは愚の骨頂である。そこまで苦労しても、せいぜいその弱みについては他人と同じにしかならい。他人と同じということは、君の存在価値がないということだ。すべてに優秀な人間なんかまず存在しないのだから、ならば、どこかに他人より優れたところ、強みを見つけて、それについてはクラスでは誰にも負けない、学年でも誰にも負けないくらいになれ!」といっている。

どうも、日本の教育や社会は、こうした凸凹のある人間には、高度成長期よりはマシにはなっているが、しかし、まだまだ大変住みづらいし、働きづらいところなのは否めない。ならば、そういう凸凹がある、言い換えれば能力的に個性の強い人間は、そういう人が自然であり十分評価されるようなところに住み、働いたほうが幸せになれることは、おそらく間違いない。

人間は他人と異なるところに、その人の個性があり存在価値がある。同じことを他人と同じようにできることは、決して美徳でもないし誉めるべきことでもない。
Date: 2002年05月15日(水)


[Palm] CLIE PEG-NR70
最初にお断りすると、買ったわけじゃありません。今日、ちょっと帰り際に時間があったので、パソコンショップで時間つぶしをしていたときに見ただけです。だから、店頭で触っただけ。

で、触っただけの偏見に飛んだ感想。

≫ 大きいというけれど...

巷では、「でかい」という声がありますが、私は手がでかいので別に何も感じませんでした。開いたときには、まあ、ちとでかいけど別にそんなもんじゃないですかねぇ、って感じ。

≫ キーボードがいいねぇ

超ミニサイズキーボード、なかなかいいですね。タッチタイプは難しそう(慣れればかなりできそうですけど)だけど、結構いいかんじ。これ以上打ちやすいと、逆に本体の速度がついてこなくなる(ATOKなどがついてこなくなる)かもしれないから、そういう意味ではバランスよいかも。

≫ 液晶はだめだめじゃん

Visor Prismと並べると、液晶の見栄えというか発色というか明るさが比較にならないほど、暗かったっけ。てっきり、反射型だと思っていたら透過型だって。ってことは、バックライト必須。でも、バックライトなしで連続使用5時間、Prismならバックライトをつけて(というか消せない)連続でもそれ以上はもつぞよ。

え?連続使用?PDAとしては無いでしょうが、英語の小説などの電子本(http://www.peanutpress.com/)をこれで読むんで、連続使用があるっす。

≫ 128MB上限のメモリステックはだめだめじゃん。

普通に使っていれば十分かも。だけど、EB Playerでいくつもの電子ブック辞書を入れて、電子百科事典&英英辞典&英和辞典&和英辞典&国語辞典と化している私のPalmは、128MBじゃ少ないのよん。

≫ 価格が高すぎる

PDAなるものが実売で5万円もするのはどうかしている。機能が豊富だとはいえ、3万円が限度だなぁ。

ってことで、興味は半日くらいしか続きませんでした、ちゃんちゃん。
Date: 2002年05月16日(木)


[雑記] フィギュア
なぜか、最近コンビニエンスストアなどではフィギュアが沢山おかれていて、時にはアクリル製の小さなショウケースも売っていたりする。まあ、でも、所詮流行のみを追いかけるコンビニエンスストアのことだから、ちょっとでも下火になればたちまちにして店頭から姿を消してしまうに違いない。

小さなフィギュアのブームを作ったのは、おそらくフルタのチョコエッグだろう。空洞になった卵形のチョコレートの中にプラスチックのカプセルが入っていて、その中にいろいろな動物や昆虫、魚のフィギュアが入っているというしろもの。これはテレビでも多く取り上げられたから、いまさら言うまでも無いものだ。

このフルタは、その後フィギュアをいろいろ出していて、ディズニー・キャラクターコレクションとか漫画家コレクションで松本零士・横山光輝・長井豪、恐竜、妖怪、アリス(不思議の国のアリスのアリス)などがあるけど、動物シリーズ以外はあまり趣味じゃない。

今日、セブンイレブンへ昼食を買いに行って、そこで見つけたのが、ユージンから出ている「昭和猫」というシリーズ。100円ガチャより大きな不透明の茶色のカプセルに入って、販売価格191円(税別)である。

私は、飼うなら絶対猫より犬なんだけれど、見ている分には猫も大好きなのである。猫も飼いたくないわけじゃないけど、犬は話し相手になるというか、気持ちが通じるというか、お互いに理解し合えるけれど、猫は独立独歩で人とはつかず離れずだから面白くない。

それはともかく、カプセルを開けてみたら「すいかぺろぺろ」の三毛猫だった。これがなかなか良く出来て、背中を丸めて舌を出して西瓜をなめる様子、その背中の丸まり具合や背骨の出方、肩の骨の出具合と両肩の間のくぼみなどが、小さいフィギュアにとてもよく再現されている。

さらに驚いたのは、この猫をひっくり返してみると、ちゃんと脚の指と肉球までついているのだから、恐れ入りました、って感じ。

西瓜も皮には模様があるし、種も描いたのではなくて、小さな黒い粒が埋め込んであるのだ。西瓜が載っている皿もちゃんと模様がかかれて入れ、これが「そういえば、昔、おばあちゃんの家にはこんなお皿があったなぁ」とか思わせる皿で、なかなか、すごい。

ちなみに、この昭和猫、セブンイレブンのみで発売中。
Date: 2002年05月17日(金)


[雑記] フィギュア「昭和猫」
昨日、私が買ってきたユージンのフィギュアである、「昭和猫」だけれど、家族皆、いたく気に入ってしまったようで、今朝妻がちょっと出かけたときに、近所のセブンイレブンで二つ買ってきた。

買ってきた本人から奪い取るように(笑)、それをあけてみると....。

まず、一つ目。なんと、昨日私が勤務先近くのセブンイレブンで買ってきたのと同じ、「スイカぺろぺろ」だった。うーん...。

こういうフィギュアは塗装は全部手作業だから、同じ二体を並べると微妙に体の模様の具合が違う。それに片方は目玉を掻いた黒い塗料の微小なしずくが頭に落ちていて、額にほくろができている(笑)。

で、二つ目。これは、「カブトムシをねらっている」やつである。こちらは、「スイカぺろぺろ」よりよくできていて、木の幹も年輪まで入っていて、ちゃんと緑の若葉もついている。そして木の幹にへばりついているカブトムシも、猫に負けず劣らずよく出ているではないか。こりゃすごい。特にカブトムシの足の先もちゃんと二つに割れていたりする。これに当たったら是非拡大鏡で見てほしい。

猫のほうは、これまた、獲物を狙う姿勢で、頭を低くして尻尾を体のほうに丸めている。で、尻尾の付け根というか、お尻というか、そこに、なんというか、タマが二つちゃんとくっついている、という芸の細かさには、感動したというか笑ってしまった。

こうなったら、全部そろえてみるか....
Date: 2002年05月18日(土)


[雑記] 埼京線工事
今日は埼京線池袋駅での線路切り替え工事ということで、始発から午後10時頃まで、埼京線の赤羽から恵比寿の区間で運休した。

実は、今日は所要があって大宮に行く予定だったのだが、埼京線が使えないとなると山手線で田端とか日暮里とかあるいは上野まで行かなくてはならない。幸いにも、この情報は妻が前日に教えてくれたので、当日知らずに出かけて予期せぬ遠回りを余儀なくされ、待ち合わせ時間に遅れずにすんだ。

いったい、何を工事するんじゃい?と思って、JR東日本のサイトを探したら、情報をみつけました。リンクがいつまで残っているかわからないけれど、JR東日本 顧客価値の創造・顧客満足の追求というページの後半にあった。

赤羽線の時代から赤羽・池袋というのは混雑していたけれど、埼京線ができてから赤羽~新宿間は、ムチャ混み・チカン頻出の代名詞のようになった。大切なモバイルPCやモバイル機器がこの区間の混雑がゆえに圧死するなんて噂もあるくらい、すごいらしい。だから、この区間は私が絶対に通勤として使いたくない区間でもある。

とにかく、ことほどさようにムチャ込みなので、なんとかせねばなるまいとJR東日本が考えたのが、宇都宮線・高崎線の池袋乗り入れのほうが現在池袋どまりなのを、新宿まで延長運転することだ。

ところが現状では、埼京線上り(新宿・恵比寿方面)と山手貨物線[宇都宮線・高崎線]下りが平面交差しており、ダイヤの関係で宇都宮線・高崎線の新宿方面への延長運転が難しかったという、これを立体交差化して、埼京線と宇都宮線・高崎線の上り同士が隣り合うように、また下り同士が隣り合うようにというようにするという。

埼京線は、計画としては来年には(本当かしら?)天王洲アイルと大崎間が開通して、JR埼京線と相互直通運転する予定だそうで、そうなるとますますこの区間は混雑を避けられない。現在、朝の山手線内回りの池袋→渋谷間のピーク時である朝の8時台は、それはもう殺人的な込み方で、ダイヤのほうもこれ以上過密ダイヤは不可能なくらいびっしりつまっているので、もはやこれを避けるには、平成18年度開通予定の営団地下鉄13号線(池袋~渋谷、東武東上線、西武池袋線/西武有楽町線と相互直通運転)の開通を待つことと、あとはJR側でのこうした小手先対策しかない。

ともあれ、本質的には東京に人が多すぎるのだ。石原東京都知事がなんと言おうと、東京都の機能一極集中は考え直したほうがよい。
Date: 2002年05月19日(日)


[雑記] 昭和猫
5月17日と18日で紹介した、ユージンの「昭和猫」だけれど、四つ目を会社の近所のセブンイレブンで買ってきた。

セブンイレブンでいっしょにかった「魚介のトマトソース煮込み&パスタ」(これは、マジ、美味しいです!もうちょっとパスタが太めでもいいけどね)を食べてから、ガチャボックスから選んだ今日の一つをあけてみる。

普通ならカプセル内に一つの黒い袋のはずが、なぜか二つ入っている。なんだぁ?と思ってあけてみると、樹脂で作った座布団が出てきた。

うんにゃ? そうか、これは、きっと「シークレット」に違いない。シークレットといっても、添付の小さなシリーズ紹介の絵をみると、シークレットの商品は影だけになっているのだが、影を見ればわかってしまう。すなわち、座布団に寝転んだ母猫とそのおっぱいに吸い付く子猫であろう。

で、もう一つの黒い袋をあけてみると、ぴったしカンカン(これで歳がばれる?)、ずばり買いましょう!母猫と子猫が出てきた。

この母猫のつくりは、すいかペロペロとかカブトムシを狙っているやつとかより、さらによく出来ていて、ちゃんと母猫のおっぱいは張っていて、乳首がある。四本の脚の裏には、ほんとうにふっくらとふくらんだ肉球があり、ピンク色をしている。尻尾はかぎ尻尾で、そのかぎの具合がこれまたよく出来ている。

子猫のほうもかなりすごく良く出来ていて、おっぱいに吸い付き、右前足で母親のおっぱいを押しているしぐさになっていて、両者を組み合わせて置くと実にぴったりサマになる。こうなると、191円の世界を越えてしまっている、これが191円ならば安い、絶対安い。この「昭和猫」シリーズはお買い得!?

うーみゅ、侮れないのがユージンという会社か。
Date: 2002年05月20日(月)


[PC/Palm] Shuriken Pro2 その後
5月13日(月)で紹介した、Shuriken Pro2を使い始めて、ほぼ一週間が経過したので、Becky!と比較しての感想をば少々。もちろんたかが一週間使った範囲内の話。

Becky!で出来て、Shuriken Pro2で出来ないことは何か。

まず、「手を加えずに転送」昨日が、Shuriken Pro2には無い。

次に、送信文書の整形機能は、Becky!のほうが良い。Becky!だと、引用部分が考慮されて、引用部分については自動改行しないけれど、手で書いた部分は指定したカラムで自動改行される。ただ、これはテキスト入力時に行われるので、引用部に間違って文字を挿入したりすると、引用部も同じく自動改行されて崩れることがあるのは、逆の意味での欠点。一方Shuriken Pro2では、こういう自動改行はなくて、どちらかといえばOutlook Expressのそれに近い感じで、引用部もへったくれもなく自動改行されるのは不便。これだと、引用すると指定したカラム数を超えているものは全部自動改行されていしまい、ひどく不恰好な感じなってしまう。結局、自動改行は引用するときは自動改行は使えない。

起動などの動作については、50MBほどのBecky!のメールを、Netscape経由でインポートして比べて見ると、もう、絶対的に問題なく、Shuriken Pro2のほうが速いし、フォルダ内の表示も同じメール数(3000通以上)でも、やはりShuriken Pro2のほうが速い。

振り分けは、Shuriken Pro2のほうが便利に出来ているし、アカウントをまたがった振り分けができるのも特徴だ。すなわち、複数のアカウントで受信したメールを必要に応じ、それぞれのメールボックスに保管したり、ひとつのアカウントのメールボックスにまとめたりすることが自在である。

JUSTSYSTEMの製品ユーザー(ATOKなど)登録があれば、3000円で購入できるから、Becky!の4000円よりは安いから、試して見る価値はあるが、残念なのは試用版がないことだろうか。安くしてあるから試用なんていわず、かってくれということかもしれないけれど、試してみてこそ良さがわかるソフトなので、試用版は是非つくったほうがよいと思う。
Date: 2002年05月21日(火)


[雑記] またまた、スイカの昭和猫
我が家のa href="http://www.yujin-net.com/" target="_blank">ユージンの「昭和猫」が六匹になった。三匹は妻が購入、三匹は私が会社の近くのセブンでランチといっしょに購入した。

内訳はというと、シークレット×1、カブトムシ×1、紙風船×1、スイカぺろぺろ×3となっている。私は、シークレット、紙風船、スイカぺろぺろで、妻は、カブトムシとスイカぺろぺろ×2である。

最初にスイカぺろぺろを買ったのは私だから、妻は大枚六百円もはたいていながら、家には無かったタイプを買えたのは、たった一匹だけということになり、大変ヒット率が悪い。

いや、逆に考えれば、ガチャボックスから同じものを都合2回も買うというのは、むしろ、すごいことかもしれない...と、言って妻を慰めるしかないか....。

さて、昭和猫は全部で七種類ある。我が家にないのは、おひるね、ちょうちょ、鯉の三種類。だが、自宅にそろえばそろうほど、残り少ない種類を引き当てるのが困難になるのは確かなのだが、もうすぐセブンから姿を消すかもしれないと考えると、ここで放棄するのはもったいない。

やっぱ、続きを買おうっと。
Date: 2002年05月22日(水)


[雑記] 腰抜けで意思表示のない国・人びと
どうにもはっきりしないのが、中国領事館の事件だ。新聞各紙は、阿南大使が亡命申請があるまでは、不審者であるから排除しろと命じたと報じているが、あのような状況で、大使館や領事館に逃げ込む前から、亡命者でございと旗をたてて、亡命申請をしてくる亡命者なんざぁ、いるとでも思っているのか?

NGO幹部が事前に世界の主要マスコミに連絡して、撮影されており、それが世界中に報道されたから、五人の亡命が最終的にはなんとか成し遂げられたが、そうでなければ中国はもとより、日本側も知らぬ存ぜぬ、そんなことは起こっていない、で通したことは、まず間違いないと推測する。

だいたい、日本人がすきなのは「八方美人」「玉虫色」「敵を作らない」「議論をしない」「NOといわない」「YESも明言を避ける」....まあ、上げれば切が無いくらい、自分というものを持たない国・民族だ。

こういう国の外務省や政治家、そして私たち自身は、亡命者だけではなく、肝心の同胞である日本国民すら守れないのではないだろうか。時代遅れの有事法案にこだわっている奴らもいれば、ひたすら何事も日高くしにしたがる外務省、在外日本公館の治外法権すら堂々と主張しない腰抜け。そして他人事のような顔をしている一般庶民。

もはや日本に明るい未来の片鱗も残っていないと断言してもよかろう。
Date: 2002年05月23日(木)


[雑記] 日本の旅館
典型的な日本の旅館、何故か窓際にはちょっとした板の間があって、そこにはチンケな椅子が二脚とちゃちなテーブルが一つあるのが典型的のような気がする。

これって、安い宿でもそうだし、かなり高い宿でも椅子がちょっと上等になるくらいのもので、典型的だと思う。窓の外が大自然でも大通りでもこの傾向は変わらない。

また、どこの観光地へ行っても旅館で出てくる食事は、どれもこれも大同小異。もちろん特色はあってそれなりに努力は見られるのだが、一歩とか二歩引いた目で眺めると、その宿の特色なんてあまりない。まあ、日本の旅館料理そのものにあまり差がないというのが正直なところか。

さらに、どこの旅館でも夕飯の量は非常に多い。一つ一つの皿には少しずつしか乗っていないのだが、皿数が多いし、ゆっくり時間をかけて食べるからそんなに多く食べられない。

さらに差がないのが旅館の朝食。安い宿の定番は味噌汁に海苔、焼き鮭にお漬物といったところ。上等になると味噌汁が一人用の鉄なべにはいって、具がちょっと豪華になったりするけれど基本は同じ。まあ、前夜、贅沢しただろう!ってのがあるから、その翌朝は軽くでいいのでは?ってのはうなづけるところだが、あまりに変化が無さすぎ。

食事の量的なことをいえば、もっと夜を軽くして、朝を充実してほしいと思う。

それに、日本の旅館の一泊二食付きというのは、そら恐ろしい値段がついていて、一泊二食で一人二万円なら一流観光地ならかなり安いほう、三万円、四万円なんてのもざらにある。世界のリゾートでもかなり物価の高いハワイですら、高級ホテルですらルームチャージは四万円もしない。ニュージーランドのクィーンズタウンなんか、かなりすばらしいロケーションと綺麗で小ぶりなホテルであったが、ジェットバスつきのひろーい部屋でもルームチャージで8000円程度だった。

どうも、日本は住むにも遊びに行くにも高すぎる!
Date: 2002年05月24日(金)


[雑記] 映画館とトイレ
外国人の友人とWarner Mycalの某所で「Spiderman」見てきた。まあ、Spidermanそのものは良く知られた話で、one of American heros なんだなぁ、ってしみじみ感じる映画だった。Batmanしかり、Supermanしかり....。

ところで、映画館で映画を見ているとなぜかトイレに行きたくなる。私は自分の意志で途中でトイレに立ったことはないが、子供がトイレに行きたくなって仕方なく付き合ったことが二度ほどあるし、かの友人は、The Lord of the Ringsの三時間を超えた映画のときは、さすがの彼も途中で一度トイレに立った。

Warner Mycalの私がいつも行くところは、複数のスクリーンが一つのフロアにありスクリーンのほうへ入るのに、係員の立っているゲートを通るのだけれど、そこを超えてスクリーンのフロアに行くとトイレがない。だから、途中でトイレに行きたくなると、端っこのスクリーンだと延々或いてゲートへ行き、ゲートの外のトイレに行き、戻ってくるときに半券をゲートで示してまたスクリーンのほうへ戻ることになる。

トイレそのもは清潔で掃除が行き届いているし、数も多いので問題は無いけれど、いかんせん遠すぎる。一端トイレに立つと、数分はフイになってしまうのは、これは困ってしまう。トイレがゲートのスクリーン側にないのは何か理由があるとは思うけれど、この不便さはなんとかしてほしい。

それにしても、たかが二時間くらいで、それも始まる前にトイレに行っているのに、終わり近くにはトイレに行きたくなってくる。コークでももって入って飲んでいるのなら話はわかるけれど、何も飲まなくてもトイレに行きたくなるのが不思議である。

ひょっとしたら映画には利尿効果があるのかしらん?....そんな訳はないか。
Date: 2002年05月25日(土)


[雑記] 安全神話の危険
今日は一日VIPの警護だった....って、別に私は警察官じゃないのだ、単に子供の模擬試験に都内まで付き合っただけだ(笑)。そんな大げさな、って話はあるが、日本が安全な国だと思っているなら、それは大きな間違いであると断言してよい。

安全な理由の一つに日本には交番制度があるのだ、なんて言っても無駄だ。我が家の近所の交番なんか、昼間のごく限られた時間しか警察官は居ないし、勤務先ビルのそばの交番に至っては普段は無人ときたものだから、はっきりいって我がニッポンコウバンは何の役にも立たない。東京で街中を歩いていて、警察官を見かけることは滅多にない。人通りの多い繁華街ですら、まず警察官がパトロールしているところは見られないのは不思議といえば不思議。

ところが、そんな状態でも安全ボケした日本人の中には、夜の住宅街の静まり返った薄暗い公園の近くなんかも女性一人で平気で通ってみたりするけれど、まあ、でも、日本の中ならともかく、海外でも同じことをやりがちだったりするから、はっきりいうとこれはかなり恐ろしい。

これまでの数少ない海外旅行でも、若い女性(向こうの基準でみるとハイスクールかそれ以下にしか見えないくらいの女性)が、ブランドもののリュックを背負って、黄色い表紙で端の青いバックパッカー向けのガイドブックを手に、一人できょろきょろしていたりするのを二度ほど見たことがあるが、これはもう傍目にみて、危なくて仕方ない。治安の良い場所だったからいいけれど、もう、はらはら、どきどきだったというのは決して大げさではない。

同じような状況は日本でも見かけるけれど、ことがおこったときはひょっとしたら日本のほうが怖い側面もあるのではないか。というのも、日本人の多くは、何かおこったら、それに巻き込まれるのを極端に嫌がるから、いわゆる「見てみない振り」が多発する。夫婦喧嘩をしてもすぐに警察に通報されるアメリカも極端だけれど、見てみぬ振りをして警察にも通報しない国もどうかと思う。

私の知るあるアメリカ人は、自分の街や知る限りにおいては、暴力を伴わない段階でも公衆の場で大声での口論が二分間ほど続くと必ず誰かが警察へ連絡するといっていた。銃砲所持を許された国とそうではない国との違いはあるけれど、日本ではこれが殴りあいになってナイフでも持ち出してどちらかが瀕死の重傷を負うまで知らぬ振りではないか思えてと、逆に怖くなる。

こういう事情を知らないと、旅行先の街中の街中で夫婦喧嘩を始めて、当然の帰結として夫が逮捕されるなんてこともありうるわけで、特にアメリカなんかは、ハワイやグアムを含めて(あそこもれっきとしたアメリカ合衆国である)、民事不介入とか言って夫の妻への虐待や子供虐待を放置するあまっちょろい国とは訳が違う。

何にせよ、日本は決して安全という訳ではないのは忘れるべきじゃない。
Date: 2002年05月26日(日)


[雑記] 相変わらずブランド買い漁りのニッポンジン?
週末から今朝にかけて多くの報道メディアが、エルメスのウィーン店では、あまりに日本人客が殺到するので、日本人へはバッグを1人2個までしか販売しないし、身分証(まあ、海外旅行で身分証といえば常識的にパスポートだ)の提示を求めることにしたのだそうな。

あるテレビ番組では、これを受けて街頭での女性インタビュー(注:インタビューの内容をそのまま受け取るのは危険だ。なぜなら、その言葉は確かに本物かもしれないが、それは発言のごく一部を都合の良いように取り出しただけの可能性もあるし、多くのインタビューから局の主張に都合の良い少数の意見をことさら大きく取り上げただけかもしれないからだ)によれば、を報じていたが、
 「1人2個じゃ少なすぎる」
     (あんたはバッグ問屋かい!)
 「何個買おうが自由じゃん」
     (なら何個売ろうが自由だぞ!)
 「なんで日本人だけ?差別だ」
     (そりゃ自分を振り返ってみればわかるぞよ)
 「日本人の海外高級店でのマナーが悪すぎるから仕方ない」
     (わかってらっしゃる!)
 「やたら触りまくる」
     (店員に声をかけて許可をえて触るのが常識なのにね)
 「バーゲン会場みたいだもん」
     (金持ちのマダム向けブランド店に餓鬼のように殺到したんじゃねぇ)
ってな感じだったかなぁ。ちなみに ( ) 内は私の叫びである。

客が商品を選ぶ権利があるように、店にだって販売する客を選ぶ権利はある。金持ち向けの高級イメージで売っていたブランドが、いきなり東洋の小さな島国の成り上がりどものが押し寄せて、触ってもいいと言わないさきから、高級バッグに素手でベタベタさわり、ツアーバスが来るたびに店の中は取り合いのバーゲン会場になるとなれば、そりゃ店だって自衛のためには客を選びたくなる。

私が店主なら、日本人お断りとでも張り紙をしたくなるところだ。1人2個の制限という甘い処分ですんだだけ、まだ、マシだと思うべきだが....。
Date: 2002年05月27日(月)


[雑記] パーソナルスペース
人には「パーソナルスペース」というものがあるのだそうで、他人の侵入に対して心理的に非常にストレスになる距離をいうのだそうだ。その距離(半径)は侵入者というか他人との関係によって大きくことなり、アツアツのカップルなら半径数十cm以下、他人同士だと半径2~4mくらいだという。

気をつけて自分自身の行動を観察すると、街中や職場などありとあらゆるところで、他人が一定距離以内に入ってくると、無意識のうちにその侵入者と距離をおいたり、会社の廊下で同僚と立ち話するときなども、1~2mほどの距離を無意識に空けている。

これが、都会などだと、距離を空けたくても空けられなくなってくる。極端な例は朝夕の満員通勤電車で、これはごく親しい人にしか許さない半径数十cm以内に、1人のみならず、多いと四名とかそれ以上の人が侵入しているわけで、これはもうとんでもない心理的ストレスになる。

これが一時だけならともかく、毎日毎日くりかえすと、だんだんストレスがたまってきて、まともな人間でもおかしくなってきて、いきなり爆発してキレて、殴りかかったりするわけで、これが朝など駅でよく見かける大声での口論になり、その興奮がますますこれまでたまったストレスの爆発を呼び、ついに本能が理性を吹き飛ばして、自己防衛、つまり他人への攻撃に出る。

これの怖い点は、いかにも危なそうなアンチャンじゃない、ごく普通の学生やサラリーマンが、何の前触れもなく、ちょっと肩が触れたとか荷物があたったとかで、キレてしまうことにある。

そういう意味で、都会、とくに東京には人が多すぎる。都知事がなんと言おうが、人間の心理ではもはやこの状態は耐え切れない過密状態なのであり、とっとと首都なんざ返上して、平和な田舎東京にしてしまったほうが、人間の心理的にはかなり平穏になるであろう。まあ、これは極論だが、いつまでも都会にはしがみつかないほうが身のため、心のためであることは、間違いない。
Date: 2002年05月28日(火)


[旅行] 海外パッケージツアーの功罪
パッケージツアーとは便利なもので、自分であちこち調べて手配しなくても、旅行代理店の店頭でカタログを見て、窓口に行って申込書を書くだけで、手続きが終了してしまう。この簡単さはそれは素晴らしいものである。また、価格的にも場合のよってはオトクな場合もある。

一方、エアーや宿(アコモデーション)、現地ツアーなどの手配をどこの旅行代理店にも頼ることなく自分でそれぞれ好みのものを選び出して、自分の手で手配するのが個人手配旅行だ。こちらは窓口へ行って終わりなんてものではなくて、エアーはどういうチケットを買うか、宿はバックパッカー向けの安い宿から、B&B、コンドミニアム、通常のランクのホテル、ツアーでは決して使われないような最高級ホテルの最高級の部屋まで多種多様、なんでもござれ。部屋の料金も現地と直接交渉したりすることで、想像以上に安い料金で宿泊できることだって少なくない。

価格面で見れば、一般的にはオフシーズンだとツアーのほうが安いものが多く、ピーク時だと大抵の場合、圧倒的にツアーのほうが高いようだ。

また、気持ちのほうは、経験的に言えば、パッケージツアーを使った場合では、本当に「旅行だぁ!」ということで旅が始まるのは、出発当日あたりになってからのような気がするが、個人手配旅行になると、エアーや宿の手配のために調べ始めたときから、「旅」が始まる。つまり、個人手配旅行では出発するまでの手配の段階ですでに旅が始まっている。特に、今では、世界の主要な土地の主要な場所へのエアーや宿の情報や手配は、インターネットを使えば実に簡単にできる。こうしたことが追い風になっているのか、最近は個人手配旅行客が増えているとも聞く。

一度、個人手配での旅に慣れてしまうと、パッケージツアーのあまりの自由度の無さ、制限の多さに辟易してしまい、よほどの場合でないとパッケージツアーに戻りたいとは思わなくなる。

もちろん、個人手配旅行でいろいろ調べて交渉して安くてよさそうなところを見つけたり、情報を探したりするには、これはやはり最低限「英語」は必須である。現地に予約を入れるのだって、場合によっては旧来のように最終段階ではFAXでクレジットカード番号を書いて予約をいれなくてはならないときもあり、当然日本語ではダメであるから、英語の簡単な読み書きは必須であろう。

言葉の問題が、手配旅行への一つのような気がするが、しかし、日本人は最低でも中学三年間英語を勉強しており、日常のやり取りの大半は中学三年間の英語で事足りるのも、これまた厳然たる事実であり、英語が出来ないのは言い訳に過ぎず、英語から逃避しているだけだ。

ともあれ、簡単な英語で済むのだから、まずはハワイあたりの個人手配旅行から試してみてはどうか。

筆者の作になる「あいちゃんのお決まりのツアーから一歩抜け出すハワイ」が以下のサイトに掲載されているので、興味のある人はご覧あれ。

Hawaii Web
http://www.hawaii.ne.jp/
Date: 2002年05月29日(水)


[PC/Palm] 経路検索ソフト
PCの鉄道経路検索ソフトはいろいろあるけれど、私がずーっと今まで使ってきたのは、「乗換案内」である。

これを選んだ理由は忘れたけれど、たまたま手にとったのがこれだったとか、まあ、その程度の理由とはいえない理由だったように思う。その後、ずっと年間サポートを購入して、それに加えてWebでのマイナーアップデートをしているので、常に最新時刻表で保たれている。

ところが、これまたどうしたわけか、やはりたいしたことはないであろう理由で、「駅すぱあと」を使い始めた。「乗換案内」の年間サポートが7月で終わってしまうので、この際、超有名どころの「駅すぱあと」を使ってみるのも悪くないって訳だ。

とりあえず、感想だけれど、はっきりいって大きな差はない。あえて言えば「乗換案内」には、日本発着海外航空路線の時刻表があり、「駅すぱあと」はWeb連携でバスの時刻表や路線図が充実していることだ。

「乗換案内」の飛行機の国際線時刻表だけれど、検索した範疇においてはすべての便がカバーできていないようだから、あまり役に立つとも思えない。必要なら各航空会社やITN (今はAmerican ExpressのTravelサイト)で調べるのが確実で間違いがない。

まあ、国際線のイマイチ正確さにかける時刻表と、バス路線にバス時刻表とどちらが有用かというと、ふつーは後者だろう。私は年に一度か二度、海外旅行にでかけるけれど、はっきりいってこういうソフトで調べようとは思わない。必ず最終的には航空会社のWebで調べることにしている。

もうひとつ、両者にはPalm連携機能というのがある。本体ソフト同梱のPalm用ソフトをPalmにインストールするのは同じ。本体から選んだ路線の選んだ駅の、駅の時刻表をPalmに流し込んで、Palmで駅の時刻表をみることができるのも同じ。ただし、「乗換案内」は単なる表示だけど特急列車についてはその列車の停車駅と各駅発射時刻が表示され、「駅すぱあと」は現在時刻に一番近いところがマークされるのが異なる。

「駅すぱあと」にあって、「乗換案内」には無いのが、本体で検索されたルートや各駅発着時刻・運賃といった検索結果をPalmに流し込んで、Palmで閲覧できること(検索はできない)だ。

さて、7月からの年間サポート契約はどちらに
Date: 2002年05月30日(木)


[雑記] 学校制度改革
4月1日から学校週五日制度が実施され、さらに評価も相対評価から絶対評価になり、カリキュラムも見直しがなされた。その結果、どうなったか?

我が子の通う中学では目立った騒ぎは無かったようだが、学校によっては春と秋の二度実施していた運動会を一回にしたり、発表会や学芸会の類を中止したり、果ては遠足の回数を減らしたり、修学旅行を中止したり修学遠足に切り替えたところも出てきたらしい。理由は推して知るべしだが、授業時間数を確保するためだ。

建前からいうと、内容が簡単になったはずなので授業も短くなっているはずだが、実際はさにあらず。何もわかっていない机上だけで教育を論じている連中が、机上の理論だけで練ったというカリキュラムだから、まともなわけはない。

こういう方針に私立学校が従おうはずもなく、私立学校の多くは依然として四月以降も土曜日の授業は続けている。

また、評価が相対評価から絶対評価になったことで、これまで私立高校への推薦基準は、いわゆる内申書にあったけれど、全国統一的基準のない絶対評価もどきのおかげで、生徒のその学校における位置付けが内申書だけではつかめなくことを恐れて、本来試験らしい試験がないはずの推薦入学において、私立高校共通の試験、なるものが考えられているらしい。

これらは、独自の教育ポリシーを持つ私立学校が、文部科学省の方針を完全に見捨てたことに等しいのではないか。

教育は、文部科学省のお役人たちの仕事を作り彼らに給料を与えるために存在するのではない。将来の日本、将来の世界を担う世代を育てるのが大人の義務であり、その義務を遂行するために制度として存在するのであり、主役はお役人でもなければ大人でもなく教師でもなく、子供なのだ。

子供が教育の主役であり、彼らがいかに意欲的に学問に研究に取り組み、広い視野をもった大人になれるようにするかが、その目的なのを忘れてはいけない....のだが、実態は、それとはかけ離れ、子供は大人や役人の道具になってしまっている。

このままでは、日本の将来は無い。
Date: 2002年05月31日(金)
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